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Vol.3≪1人で何役も≫
日本工業新聞/平成3年(1991年)8月8日(木)
タノウカは多能化のことなり、とわかってくれる人は、少なかった。保治は、それが誕生まもない木工会社の発展のため、必要なことだと考えていた。多能化とは、社内の技術者を多能化にすることであった。
そのころの主な営業種目、たばこウィンドの製造は、もう、かつての1軒ずつ家の間取りや広さにあわせて作る名人芸は少なくなっていた。何種類かに規格化されたウィンドが、四条大宮で作られ、現地へ送られて技術者がかけつけ組み立てる方式になりつつあった。住宅産業でいうプレハブ方式がここにも浸透して、量産、量販という近代化の道がようやく整えられた。
にもかかわらず、1人の技術者だけではどうにもならない。やはり大工さんやガラス、電気を扱える複数の人が必要である。もし、1人で多くの技術や資格をもてば、少ない人手で工期も短くてすむ。1人何役もこなせるようにすればいい、という発想である。もともと初代社長が修得した木工技術を基本とする企業である。技術は重視された。新入社員は5年間の技術修得期間を義務づけられて、そのあと1人前に扱われた。
五年の修了者は、会社の玄関で記念撮影をする。残された写真には、年代ごとに若い人たちの緊張した表情がうかがえる。ここに紹介したのは、28年の写真。吉本訓敏君技術修得記念及28年度新入社員入社記念」の掲示があり27人が並んでいる。
前列左から3人目、胸に花をつけているのが主役の「吉本君」。隣が富太郎、一人おいて保治。会社名はまだ、株式会社安田製作所である。
このような技術重視の傾向を、発展のための方向づけをして多能工の養成へ向けたところに、保治の新しさがあった。規模の小さい企業では1人でなんでもこなさなければならない。技術者だから、営業マンだからという境界もなかった。それが現在のフジタカのセクショナリズムを廃止し、社員はなんでもやる、という自由で積極的な社風を生んだ。
写真の主役、吉本訓敏は戦後の草創期に入社した人で、のち営業マンとしても力を発揮した。毎月公表される営業成績で、しばしばトップとなった。残念なことに、44年、営業中に交通事故にあい亡くなられるが、在職中の成績は、ほとんど毎月ベストテン入りしている。
フジタカの営業マン訓練や、営業競争の激しさは有名だが、これは後述する。ただ、30年代ごろまでの営業活動は、この時期を過ごしたビジネスマンには共感を覚えるものがある。社員は目的地まで鉄道で行く。駅前で自転車を借りて走りまわる。自転車を借用する担保に、自分の腕時計をはずし、「すんまへんな」と預けた。
創業11年目の36年、年商は約8倍の1億円台に伸びた。だが、「このままでは頭打ちだな。なにか飛躍の方法があるはずだ」と、保治は考え始めている。また、仮説をたてる必要を感じていた。まもなく、東京オリンピックの年である。<敬称略>

<文・村上 順一郎>

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