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Vol.6≪超大手の参入≫
日本工業新聞/平成3年(1991年)8月14日(水)
ようやく自販機の時代がきた。
たばこ自販機に取り組み苦闘していたフジタカが、ホッとしたのもつかのま、大手が参入するという。それも超特大の−。
三菱重工業がアメリカ・ベンドー社の技術を導入、津上製作所がアメリカ・ロウ社と提携して、乗り込んできたのだった。「いくら強気でも、いきなり三菱重工さんと勝負する気にはなれませんよね。どこかと組まないわけにはいかない、どこにすればいいのか」
そのころから、保治の頭の中には、どこかの下請けや子会社ふうの立場に、自分の会社をおきたくない、という気持ちが芽生えていた。途中の経過としてそういう立場をとらざるを得ないこともあろう、しかし、積極的にそういう動きはとるまい、という考え方である。京の都で、独自にものを作って売ってきた誇りが自然にそういう姿勢をとらせたのかもしれない。
三菱重工の自販機の代理店をしないか、という話もあった。悪い話ではなかったが、それではいくら努力しても、三菱のマークで売れたのだと言われかねない。
結局、当時、それほど世間的には知られていなかったが優秀な技術を有していた安立電気(現アンリツ)との提携に踏み切った。安立電気の製品をフジタカが売る、のである。
この時点で、フジタカは自販機メーカーの立場から、ディーラーへと転換した。
結果として、ですが、その選択は妥当だったんじゃないですか」と、保治はいう。「その後、技術導入した超大手企業群は、この業界から撤退され、私は生き残りました」
そして、いそいで付け加える。
「あのう、これは自慢話のように聞こえるといけないんです。そうじゃなくて、私どものような会社でなにかを決断するときのこわさを、申し上げているんですよ。大きなところは、いけない、と思ったら転向できます。私どもは、判断を誤ると、そこでもう終わりなんですから」
゛生き残りました″という言葉が実感をもって迫る。結果として、自分がツイテいたんです、ともいう。いくら努力しても、ツキがなければ生き残れない世界である。
もうひとつ、保治がツイていたケースをあげる。
41年に祝日法の改正で、敬老の日や体育の日が設けられ、休日が増えた。百円札がコインになった。自販機の出番が多くなる。関西の私鉄に導入され始めた乗車券の自販機が、43年には国鉄の主要駅にも登場した。
大手の家電メーカーが目を向けてきた。
なかでも先発グループに衝撃を与えたのは、松下電器である。
従来の自販機の性能をはるかにしのぐ製品を、業界で初めて10万円を割る低価格で出して、この業界に参入するという。当時業界が扱っていた自販機は18万−20万円ほどである。無策であれば一気に制圧されるだろう。松下電器と協調する関係をとるか、それとも。
「迷いました。どうすればいいのか」<敬称略>

<文・村上 順一郎>

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