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Vol.7≪大ホームラン≫
日本工業新聞/平成3年(1991年)8月15日(木)
ようやく、安定してきた、たばこ自動販売機の業界に、家電の王様、松下電器が参入するという。しかも、初めて10万円を割る新製品で。
「どうすればいいのか」。迷った末の結論は「競争相手と同質の会社と組めば活路が開ける」である。
話を三洋電機へつないだ。
自販機に参入した企業は機械メーカーと家電会社にわけられ、前者はメカニズムに、後者はデザインと電気系統に優れているとされていた。
三洋電機の当時を知る関係者によれば、すでに飲料自販機業界に参入していた三洋電機は、新たに、たばこ自販機へ乗り出したが、この分野で販売に強いフジタカと組めばどうかという意見があった。
両社の意向が一致した。「三洋ブランドの製品をフジタカが全国ネットで売る」両社のスタッフが連日連夜協議を重ね、起死回生を図る新製品が生まれた。機種名は「SVM-T 210」。当時の20万円級に勝る高性能で販売価格が十万円を割る。たばこ5銘柄を販売できる中型タイプ。家電メーカーらしくデザインに親しみやすさがあり「価格面でもご評価いただけるもの」と三洋電機の関係者はいう。
「いい製品でした。こんどはこっちが頭を痛める番です。一万台は売ります、と言ってしまったのですから」と保治はいう。それを実現して、本当のホームランにしなければならない。そのころ自販機は1機種で数百台売れれば大ヒットといわれた。
東京市場を例にとる。東京で自販機1機種わずか月に5、6台しか出ていなかった時代に、新製品に何かを感じた仲村博之(当時、東京支店営業課長)はメーカーから一挙に100台を借り受け、たばこ店に軒並み置かせてもらった。この戦法を『ブルドーザー作戦』と命名。
「使っていただいてよければ買ってください」
1ヶ月後、成否がわかれる。裏目と出れば、多大な浪費と後始末が待つのは明白。クビをひねる人が多かった。保治が「やろう」と決断した。「ありがたいことでした」と仲村はいう。
1ヵ月後、たばこ店をまわった仲村はぼうぜんとする。好評である。「黙っていても稼いでくれる、ね、これは。引き取らせてもらうよ」
いそいで営業所に帰ると、社員がつぎつぎに顔を上気させて帰ってくる。100台まさかの完売であった。正確にいうと一軒だけが、残念そうに断った。事情があっていま資金の回転がむずかしいので、と。この100台貸し付け方式を次々と、何回も繰り広げ、そのつど、ほぼ売り切った。名古屋でも、未開拓地域に『アポロ作戦』を展開。
「大ホームランになりました」と保治。全国で1万6000台は売れた。打球はスタンドに飛び込んだ。機体のカラーに特徴があった。その色で、京都も名古屋も大阪も、北は小樽までおおわれた、と伝説的に語り伝えられる。たばこ自販機が日本人のもになったカラー、といえよう。
どういう色だったのか。「オレンジでした」「カーキ色」「メルボルン・オリンピックのシンボルカラーで人気があった」。
圧勝した、追憶の色彩は、人それぞれに微妙に異なるが、鮮やかによみがえる。いかにも日本中が走りっぱなしだった高度成長まっただなかの話である。<敬称略>

<文・村上 順一郎>

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