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Vol.8≪こころをつかんだ≫
日本工業新聞/平成3年(1991年)8月16日(金)
たばこ自販機「SVM-T210」(通称=ニャクトウ)の大ヒットは、その後のフジタカにも大きな影響を残した。
自販機の販売・開発に自信を得て、自販機中心の業容に変わるステップとなった。全国的に販売網が充実した。三洋電機との連携が固まり、現在も自販機や、スーパーマーケット用などの冷凍ショーケース市場で、共同作戦をとるきっかけとなった。
フジタカ商法にさまざまなキャッチフレーズ(「ピストン経営」「やどかり商法」「流線型経営」等が代表例)がついたのもこのころからである。
製造と製品ブランドはメーカーにまかせ、フジタカは販売権をもつ「やどかり戦法」。これは「名を捨て実をとる商法です」と保治はいう。
さて、この大ホームラン以前、安立電気と組んで自販機の激戦をのりきったころ、フジタカは社名を「冨士高工業株式会社」に変えた。創業者の高井冨太郎から2字をとり、富士山よりも高くという願いを込めた。37年1月である。
このとき、保治は常務・営業部長に就き、営業の実権を握ることになった。保治は「中企業3ヵ年計画」を打ち出している。新工場への移転、販売力の充実、賃金福祉制度の充実。このうち、フジタカの福祉制度はその充実ぶりで知られるが、これは後述する。ひそかに、保治が考えていたのは、業容の転換であった。
社内には、木工店いらいの伝統をひく手作り志向が色濃く残っていた。保治もそれに愛着をもってはいたが、企業としての発展はそれでは望めない。また、たばこウィンドーは年々、簡単な小規模のものになり、材料も工場製品が増え、フジタカは組み立てのみで、件数にくらべ利潤も低下しつつあった。アフターサービスも前述のように無視できない出費となる。このままでは各地の営業所を維持するのも困難になる。
37年の事業計画のなかに、その思いが込もる゛わが社の位置の分析″が述べてある。ここで、自販機を中心に据えた開発・販売会社に切り替えたい、というのが保治の念願であった。
だが、組み立て式ウィンドーは依然として発注が多く、木製に変わるアルミウィンドーなど新製品の開発も活発であった。社内の意識も態勢も、ウィンドーやショーケースを作って売る側にウェートがかかっていた。
製作部門が新工場に移転した41年頃も、ウィンドー生産は最盛期の忙しさを保ち続けていた。できあがった製品は、待ち兼ねたトラックにすぐ積み込まれ、全国に運び出されていた。四条大宮で近所に気兼ねしながら作っていたところと違い、新工場の周辺は広々としており、のびのび操業できた。
たばこ自販機の新製品のヒットは、こういう社内の傾向に歯止めをかけ、転換させるのに、大変な効果があった。
保治が「大ホームランが出た」と叫んだ背景には、よく売れた、という喜びだけでなく、こういう状況があった。「あれは桶狭間の戦いだったと思うんです」と保治はいう。強力な相手に企業の飛躍をかけての捨て身の挑戦。
常務・保治は、すべての社員の心をつかんだ。<敬称略>

<文・村上 順一郎>

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