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Vol.9≪鬼の販売学校≫
日本工業新聞/平成3年(1991年)8月20日(火)
「あれは辛かった」とフジタカの社員が口をそろえるのは、昭和49年春から実施した販売教育である。フジタカ自ら、鬼の販売学校、と称したくらいだ。以下、当時からの主催者で、中川長重・現常務取締役営業本部長に聞く。
―かなり効果が続くものでしょうか。
「われわれはジレンマに陥るんですが研修そのものに効き目は長くて1ヶ月ですね。意識改革してくれたことがどこまで続くか、追跡調査をしています」
「以前は外部の専門の方に教育プログラムを作っていただいたのですが、いまはオリジナルプログラムです。これは、研修時に自分をさらけだしてもらう。自己の欠点を自身で見いだす。それを書き出してもらう。根本原因を考えてみる。惰性で生きている自己を発見。意識改革する必要を自覚し、対策を考えるわけです」
―ははあ。
「厳しいのは、3分間スピーチで、大きな声でそれを発表するときです。論旨・言動・感銘度、とかいろいろな評価のもとに、よければ合格、ですね。1晩でも2晩でも合格までやり直しです。その発表のときは、私も徹夜です」
―では、こちらも訓練しておきませんと。
「私はいろいろ外での研修も受けます。そこで蓄積したものを、社内でお返ししなくては、と考えております」
―販売学校は会社の発展に効果があったと。
「そうですね。私どもの意識改革になりました」
第一次石油ショックの昭和48年度もフジタカは、前年比40%増の50億円の売り上げを記録。さらに、環境の悪化した49年度は、前年比20%増、50年度は、同30%増の78億円を達成。
黄檗山万福寺や周山、特別の訓練学校で管理職も若い人も鍛えられた。座禅の警策に肩をはらした思い出も。いまはセールス・トレーニングという。
若い体験者は語る。「研修が即、売り上げ増に結びつくとは思いませんが、研修を受け夜通し根本原因を話し合い、助け合った仲間は、自己変革の同志みたいになりますから。結果として社業に貢献するでしょうね」
51年2月、45歳の専務・保治は社長に就任した。就任後も好調な日々が続いた。50年代の前半は、たばこ、缶飲料およびそれ以外の自販機が会社の業績の牽引車となった。自販機のシェア1位の企業として、マスコミにも注目された。
そのうちに、たばこ自販機の存在そのものが変質する時期がきた。昭和60年、たばこは民営化され、その前後から自販機をひとつの戦略武器とする傾向が出てきたのだ。はじめは海外のたばこ会社が、続いて日本たばこが、自販機を購入し、直接、たばこ店に貸与し始めた。優良なたばこ店に対するサービスで、シェア拡大が目的だから、わずかな費用で置いていく。1台ずつたばこ店にお買い上げ願う従来商法には限界が出てくる。
もっとも、たばこメーカーが一括購入で配置するたばこ自販機のうち、かなりの数量はフジタカの扱う製品である。フジタカとしては一括購入だから、営業コストが軽くなり、ある意味で有利な展開である。だが、別の側面からみると利潤率は減少し、市場でのリードオフマンの立場が取りにくくなる。
同じ傾向は缶飲料自販機にも既に見られた。<敬称略>

<文・村上 順一郎>

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